母語話者が迷うことのない…と言われる連濁について
先日、「百日ぜき」か?「百日せき」か? についての記事を書きました。テレビ局各社で違いがあることをご紹介しました。
「和語が合わさる時、原則として連濁する。」
この違いが生まれているのは、「連濁していないことに違和感を感じるか?感じないか?」と「お役所の選択に追随するか?しないか?」の2つが微妙に絡み合っているのが理由かな?と書きました。
実はこの春から、放送大学で「日本語」の勉強を始めたんです。これまでさんざん日本語を使ってきたのに日本語をちゃんと勉強したことがなかった。
そこでタイミングよく「連濁」の講義があったんです。
母語話者(日本語を母語として使っている人…私たち)は判断に迷うこともない連濁も、留学生や日本語を学んでいる「日本語学習者」にはとんでもなく無力感に苛まれる(という)「連濁」。
かといって、母語話者もどんな時に連濁するのかしないのか、まず答えられない…そんな「連濁」。
で、整理すると。
*うしろの言葉が和語の時に起きる(ことが多い 必ずするというわけはない)連濁
*漢語や外来語では起こらない連濁
→デジタルガメラとは言わないし、ねんぎん(年金)とは言わない…なるほど。
*連濁はうしろの言葉が元から濁音を含んでいると起こらない
→はるがぜ(春風)、まざば(真鯖)とは言わない…なるほど。
*意味の問題が大きい 並列関係は連濁しなくて、説明的な意味合いを持つときには連濁する
→連濁しない「好き嫌い」 連濁する「食わず嫌い」…なるほど。
大まかにいうとこんな感じ。
ならば「百日ぜきor百日せき」問題。
「百日」+「咳(せき)」は真っ当に考えれば「ひゃくにちぜき」になるハズ。
言葉は単語を並べただけのものではなく、相手が受け取れるように意味のまとまりを音声的に示したものが連濁であり、句のアクセントであると。
そう、だからやはり聞きたいのはなぜ厚生労働省が「ひゃくにちせき」とわざわざルビを振って書いているのか…です。
ちなみに国立健康危機管理研究機構、東京都感染症情報センター、大分県は漢字で「百日咳」。(どう読んでいるのかな?)
外国の方が「前髪」を「まえかみ」と言ったら「?? まえがみ だよね」って思うし、指摘すると思います。
「百日咳」を「せき」と読んだら違和感がありますか?ありませんか? 皆さんはどうかしら? それともどっちでもいい感じ…なのでしょうか? 私はとても気になるぜ!厚生労働省。